小鳥遊 お別れパーティーに参加する(天久鷹央に日常カルテ)

「こちらでございます」
ウェイターが慇懃に言う。僕、小鳥遊優は緊張して頷くと、やけに重厚な扉のノブに手を伸ばした。
『密室で溺れる男事件』が解決した三日後、僕は西新宿の高層ビルの最上階にあるスカイレストランにやってきていた。
いったい、熊川先生がなんの用だろう……。僕は一昨日の出来事を思い出す。
『密室で溺れる男事件』が解決し、天医会総合病院統括診断部に残れることが決まって数週間ぶりに軽い足取りで病棟の廊下を歩いていると、いきなり大きな手が肩を叩いた。
「やあ、小鳥先生」
振り返ると、小児科部長の熊川が立っていた。その名のとおり、熊を彷彿させる巨体に圧倒されつつ、僕が「な、なんですか?」と訊ねると、熊川は無精ひげの生えたいかつい顔に真剣な表情を浮かべ、声をひそめた。
「明後日の金曜の夜、予定空いているかな?」
「明後日ですか、えっと、特に予定はありませんけど……」
戸惑いながら答える僕に、熊川は新宿にある高級ワインバーのショップカードを差し出し、
「明後日の午後七時、ここに来てくれ。話がある」と言い残して去っていったのだった。
本当ならなんの話か前もって少しだけでも聞いておきたかったが、あまりにも熊川が思いつめた表情をしていたため、訊ねることができなかった。
小児科医として常に子どものことを大切にし、真摯に治療に当たる姿勢に敬意を持っている。その彼があれほど真剣な表情で、わざわざ場所を変えて話したいことがあるというのだ。きっと重要なことに違いない。
仕事が終わったあと、鷹央に絡まれて約束の時間に間に合わないことを心配していたが、それは杞憂だった。午後五時、仕事が終わった僕が「ちょっと用事あるので、今日はもう帰りますね」と告げると、鷹央も珍しく「ああ私も用事があって出かけるんだ」と返事をした。
不思議な事件でも起こらない限り、鷹央は冬眠中の熊のように屋上の“家”に籠って読書や映画鑑賞ばかりしている。そんな引きこもりが出かけるなんて珍しいなと思いつつ、僕は病院をあとにして、このワインバーへやってきていた。
僕は大きく息を吐くと、ドアをノックする。中から、「どうぞ……」という熊川の声が聞こえてきた。
ノブを掴んで扉を開いた瞬間、パンっという破裂音が響いた。
銃声!? 思わず両手を掲げ、体を縮込ませた僕の頭に、ひらひらと紙吹雪が舞い落ちる。
「サプラーイズ!」
陽気な声が重るのを聞きながら、僕は立ち尽くす。部屋の中には、小児科部長である熊川以外にも数人がいた。全員が顔見知りだ。
産婦人科部長の小田原、精神科部長の墨田、救急部部長の壷井、さらに僕の天敵である研修医の鴻池舞。
なぜ、天医会総合病院の各科の部長と鴻池がいるんだ?
「小鳥先生、本当に本当にお疲れさまでした」
「お、お疲れさまでした……」
思わず返事をした僕は、「そうじゃなくて」と大きくかぶりを振った。
「なんなんだこれは? どうして鴻池が、色々な科の部長たちとここにいるんだよ? 今日は熊川先生と話をするためにきたのに」
「だから、さっき言ったじゃないですか、サプライズですよ。サプライズパーティー」
鴻池が得意げに言うと、熊川が首をすくめた。
「ごめんな、小鳥遊先生。鴻池ちゃんに仕掛け役を押し付けられちゃって」
「いやあ、熊川先生、ナイスな演技でした。小鳥先生、完全に騙されて、のこのことやってきましたからね」
『のこのこと』とか言うな……。研修医が、診療部長に何をやらせているんだ……。
呆れつつ、僕はようやく状況を理解しはじめる。つまり、僕は鴻池が仕組んだサプライズパーティーにまんまと誘い込まれたというわけか。ただ、まだ分からないことがあった。
「そもそも、なんのパーティーなんだ? 別に僕は誕生日とかじゃないぞ」
「なにを言っているんですか」
鴻池は大仰に両手を広げる。
「小鳥先生のサヨナラパーティーに決まっているじゃないですか!」
「え……サヨナラ……?」
僕が呆けた声で言うと、熊川がそのいかつい顔にいまにも泣きそうな表情を浮かべて僕の肩に手を置いてきた。
「鴻池ちゃんから聞いたよ。医局の都合で、大学病院に戻らないといけなくなったんだろ。本当に残念だよ。小鳥先生には色々とお世話になったからね」
「私も残念」
小田原が哀しげに微笑む。
「小鳥遊先生と鷹央ちゃんのペア、とっても相性よさそうだったから。小鳥遊先生が来てから、鷹央ちゃんすごく元気になって、統括診断部もどんどん活躍していたのに。ねえ、墨田先生」
水を向けられた墨田は、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「私は別に統括診断部がどうなろうと興味ないけど、小鳥遊先生には、天久鷹央が暴走して面倒くさいとき、ストッパーになってくれていたからね。その点についてだけは感謝しているわよ」
「あらあら、墨田先生、素直じゃないなぁ。精神科の患者さんの件で、先生も統括診断部には助けられたでしょ。それ、ツンデレってやつ?」
もうすでに酒が入っているのか、微妙に顔が赤くなっている小田原が、墨田の頬をつつく。
「やめてよ。相変わらずあんた、絡み酒ね。若い時なら可愛げがあったけど、四十代になってそんなの、みっともないだけ……」
「二十九歳……」
地獄の底から響いてくるような声で小田原が言う。
「なんども言っているでしょ、私は二十九歳なの。……分かった?」
「分かった! 分かったから、迫ってこないで! ごめんってば!」
般若のような形相で顔を近づけてくる小田原に、墨田は恐怖で後ずさりをしていった。
隅田が壁際まで追い詰められるのを、ゾンビ映画でも見ているような気持ちで眺めていると、救急部長の壷井が目を潤ませながら僕の手を握っていた。
「小鳥遊先生、本当に残念だよ。週一回、君が救急部に『レンタル猫の手』として勤務に来てくれるだけでどれだけ助かったか。来月から働いてくれる『猫の手』を探さなくちゃいけなくて、もう泣きそうだよ」
なんか、僕との別れよりも、救急部の人手不足を嘆いているような……。
そんなことを考えていると、鴻池が「これ、受け取って下さい」と、数十センチはありそうな白いチューリップやシオン、勿忘草などが束ねられた巨大な花束を押し付けてくる。僕がそれを受け取ると、部長たちが一斉に拍手をした。
「いや、あのですね……」
必死に誤解を解こうとする僕の言葉を遮るように、鴻池が声を張り上げた。
「シオンの花言葉は『君を忘れない』で、勿忘草の花言葉は『私を忘れないで』です」
気持ちのこもった鴻池の言葉に、不覚にも感動してしまい、僕は「あ、ああ……」と曖昧に頷いてしまう。
「あ、ちなみに白いチューリップの花言葉は『失恋』です。小鳥先生、うちの病院で結構失恋してきたんで」
「お前、ふざけるなよ!」
僕が抗議しようとすると、鴻池は哀しげに微笑んだ。
「チューリップはジョークですけど、シオンと勿忘草は本気です。大学病院に戻っても、私たちのこと忘れないで下さいよ」
鴻池の言葉からは熱い想いが伝わってきて、僕は途方に暮れる。これ以上、この場が盛り上がって事実を言い出しにくくなる前に、なんとか僕が大学病院へ戻る話がなくなったことを伝えなければ。