天久鷹央 ミカン狩りをする(天久鷹央の日常カルテ)

「ミカン狩りをしてもらいます!」
「絶対に嫌です!」
統括診断部存続の危機であった『オーダーメイドの毒事件』が解決した翌週、天医会総合病院の屋上に建つ“家”では、天久真鶴と天久鷹央の姉妹がそんな会話を交わしていていた。
時刻は午後五時を少し回ったところだ。僕、小鳥遊優が上司である天久鷹央とともに午後の外来を終えて“家”に戻ると真鶴が待っていて、鷹央にミカンの実を枝から切り離すための武骨なハサミを差し出したのだった。
「あの、真鶴さん。ミカン狩りってなんのことですか?」
僕が訊ねると、真鶴はどこまでも整ったその顔に蕩けるような微笑を浮かべた。
「うちの病院の庭園に、ミカンの木があって、この時期になると実をつけるんです。それを収穫して、小児病棟に入院している子どもたちにふるまうのが、うちの病院の伝統行事なんです」
「ああ、なるほど。それは良いですね」
小児科病棟には様々な疾患の子どもが入院している。その中には、持続的にな医療ケアが必要で、長期間入院せざるを得ない子どもも少なくない。そんな子どもの精神的なサポートと、学習の遅れを防ぐため、小児科病棟では院内学級を設置され、教育が行われていた。
子どもの成長には勉強だけでなく、様々な経験が重要だ。院内学級では定期的に、職員やボランティアによる季節にちなんだイベントが行われる。ミカンをふるまうのも、きっとそんなイベントの一環なのだろう。
「それは知っているよ。でも、なんで私がミカン狩りをしないといけないんだ。いつもは小児科病棟のスタッフがやってるじゃないか」
文句を言う鷹央を、真鶴がじろりと睨む。
「いま、小児科はすごく大変なの、宗一郎君の事件でね」
真鶴の指摘に、事件の当事者である鷹央は「うっ」とうめき声を漏らす。
先日鷹央は、意識障害をくり返して小児科病棟に入院していた五歳の子ども、鈴原宗一郎に対する医療過誤で訴えられかけた。鷹央はなぜ宗一郎の定期的に痙攣発作を起こすのか、その謎を鮮やかに解き明かすことで、自らの身に降りかかった嫌疑を晴らしたのだが、かなりショッキングな真相に、大きな騒ぎになった。
たしかに事件の現場となった小児科病棟では、再発防止のために色々と手を打たなくてはならず、スタッフはミカン狩りどころではないだろう。
「で、でも、私がやらなくても……」
鷹央はぶつぶつとつぶやくと、真鶴は切れ長の瞳をすっと細めた。
「鷹央、あなたこの前、病院あてに届いていたお中元のお菓子を漁っているのを私が見つけたとき、『なんでもするから許して!』て叫んでいたわよね」
この人、そんなことをしていたのか……。
頬を引きつらせる鷹央を眺めながら、僕は呆れかえる。
「あのときあなたが言った『なんでも』が、このミカン狩りです」
真鶴は両手を腰に当てた。細身でありながら、百七十センチを超えるモデルのような体形の彼女にはやけにそのポーズが似合っている。
「で、でもあのとき、姉ちゃん全然許してくれなかったじゃ……」
しどろもどろで鷹央が抗議をすると、真鶴は「あ?」と地の底から響いてくるような声を出す。それだけで、鷹央は「ひっ」と小さな悲鳴を上げて両手で頭を抱えた。
「もちろん、やってくれるわよね」
真鶴は柔らかく微笑む。しかし、鷹央を睥睨するその目だけは危険な光を宿していた。
「分かったよ。やればいいんだろ、やれば。けど、かなりのミカンが必要なはずだ。私一人じゃ、さすがに無理だよ」
鷹央は泣きを入れる。まあ、たしかに基本的に引きこもりで、生まれたての子猫ほどの体力しかない鷹央にはきついかもしれない。
「あなた一人に押し付けるわけがないでしょ。私も一緒にやります」
普段の妹想いの優しい姉の顔に戻った真鶴に、鷹央は「姉ちゃん!」目を輝かせた。
「それじゃあ僕も手伝いますよ」
僕の提案に、真鶴は胸の前で両手を振る。
「いえ、そんな。小鳥遊先生に手伝っ頂くなんて、悪いですよ」
「気にしないで下さい。人数が多い方が早く終わりますから」
僕は拳で軽く胸を叩いた。せっかく真鶴にいいところを見せられるチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。
「では、お願いできますでしょうか」
「もちろんです!」
「それじゃあ、四人で協力して、さっさと終わらせちゃいましょう」
真鶴は嬉しそうに、両手を合わせる。パンっという音が、部屋の空気を揺らした。
「四人? 三人じゃないですか?」
「いま、小児科を回っている研修医の子が、鷹央がやるなら自分も参加するって言ってくれているんです」
小児科を回っている研修医? 嫌な予感をおぼえた瞬間、後ろの玄関扉が勢いよく開いた。
「お待たせいたしましたー! ようやく仕事がひと段落したので、鴻ノ池舞、お手伝いに参上しました。鷹央先生とミカン狩りとか超楽しみです!」
僕の天敵である鴻ノ池舞が胸焼けしそうなテンションでまくし立てるのを見て、僕は安易にミカン狩りに参加したことを、心の底から後悔したのだった。
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