天久鷹央 親知らずを抜かれる(天久鷹央の日常カルテ)

クッキーを食べていた天久鷹央の歯に、激痛が走る! 歯科へと連れていかれた鷹央、しかし虫歯の親知らずを抜かれそうになった彼女は逃走する。果たして鷹央はどこに逃げたのか。院内での大人のかくれんぼの幕が切って落とされた!
知念実希人 2026.04.06
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「お疲れ様です」

 午後の回診を終えた僕、小鳥遊優と鴻ノ池舞が天医会総合病院の屋上にある“家”の玄関扉を開けると、ソファーにいたこの“家”のである天久鷹央が慌てて何かを隠すように、こちらに背中を向けた。

「……鷹央先生、いまなにを隠したんですか?」

「にゃんふぇもにゃひ……」

 鷹央はこちらに背中を向けたまま、未知の言語で返事をする。

 もしかして……。

僕はつかつかとソファーに近づくと、鷹央の正面へと回り込む。

「ああ、やっぱり」

アルミでできた円柱状の大きなクッキー缶を抱きかかえるようにして隠している鷹央の頬は、リスのように大きく膨らんでいた。

「なんでそのクッキー食べているんですか。今日勤務終了後、みんなで映画を見るっていうから、そのときにつまむために大きめのを買ってきたのに」

 僕は手を伸ばしてクッキー缶を奪い取ると、その蓋を取る。中にぎっしり詰まっていたはずのクッキーが、数個のクッキーしか残っていない

「まさか、全部食べたんですか⁉」

 僕が顔を引きつらせると、鷹央は「ひらひゃい、ひらひゃい」と首を横に振った。

「知らないわけないでしょ!そんなに口いっぱいに頬張っといて」

 必死にごまかそうとしているのか、鷹央は両手で口元を隠すようにして、もぐもぐと咀嚼をする。次の瞬間、鷹央は「うっ⁉」とうめくと、片手で喉を押さえ、もう片手で苦しそうに虚空を掻きはじめた。

 どうやら、焦って飲み込もうとして、喉に詰まったらしい。

「鷹央先生、水です、水! これを飲んでください!」

 鴻ノ池が慌ててミネラルウォーターのペットボトルを持ってくる。

 両手でペットボトルを掴み、喉に詰まっていたクッキーごと飲み下した鷹央は、大きく息をついた。

「死ぬかと思った……」

「鷹央先生、あの量のクッキーを一人で食べるのはさすがにダメですって。本気で病気になりますよ」

 僕が苦言を呈すると、鷹央は「大丈夫だよ、大丈夫」と手を振る。

「私、内臓は頑丈だからな」

「医者の不養生を地でいってどうするんですか。本当にそのうち後悔しますよ」

「後悔なんてしないって」

 鷹央は手を伸ばして、僕が持っている缶から一つ、ナッツが入ったクッキーを取り出し、口の中に放り込んだ、

 まだ食べるつもりなのか?この人

 呆れて果てている僕の前で、ポリポリとクッキーを食んでいた鷹央の目が大きく見開かれる。

「どうしまし、鷹央先生⁉」

 ただならぬ様子に僕が声をかけると、鷹央はさっきでクッキーを溜め込んで大きく膨らんでいた。右の頬を押さえて絶叫したのだった。

「痛ったー⁉」

***

「虫歯ですね」

 電子カルテのディスプレイに移った口のレントゲン写真を眺めながら、初老の歯科医がいう。

 数十分前、右の頬を押さえてのたうち回りはじめた鷹央を、僕と鴻ノ池は慌てて歯科外来へと運んで行った。

 地域の基幹病院であるこの天医会総合病院には、歯科も併設されている。そのおかげで、すぐに受診をして、必要な検査をすることができた。

「うう、虫歯がこんなに痛いなんて。あんなにお菓子食べるんじゃなかった……」

 丸椅子の上で体育座りをしている鷹央が、右頬を押さえたまま泣き言を口にする。

「さっき、『後悔なんてしないって』とか言ってたのに……」

 つぶやく僕を、鷹央は横目でうらめしげににらんできた。

「虫歯ということは、治るんですか⁉」

 妹の鷹央が歯科に担ぎ込まれたと聞いて慌ててやってきた、天久真鶴が尋ねる。

「ええ、もちろん治りますよ。ちゃんと治療すればね」 

 この病院の歯科部長だという歯科医は大きく頷いた。

「治療ってまさか、虫歯を削るとかそういうのじゃないよな!? ドリルっていうのは工事現場で使うもんだ。人間の口の中にツッコむようなもんじゃないぞ!」

 鷹央の声が上ずる。

「安心しなって、副院長。ドリルなんて使わないからさ」

 歯科部長はなだめるような声で言った。

 鷹央が胸に手を置いて安堵の息を着いた鷹央に、歯科部長は微笑みかける。

「虫歯になってるのは親知らずだからね。ドリルで削るなんて面倒なことしないで抜いちゃおう。右だけじゃなくて、左の方をもう少し虫歯になっているから、両方一気にやった方がいいな」

「抜く……? 両方……?」

 

 鷹央の顔から一気に血が引いていく。

「そうですね。その方がいいですね。いい機会ですから、一気にやっちゃってください」

 真鶴が「どうか、よろしくお願いします」と歯科部長に頭を下げた瞬間、鷹央が椅子から立ち上がり、出入り口に向かって走った。

「あ、鷹央先生、どこ行くんですか⁉」

 僕が声をあげたときには、鷹央は扉を開けて部屋の外へと飛び出していた。

 普段のナマケモノのようにダラダラしている生活からは想像できないような俊敏さに、僕は呆然と扉を眺めることしかできなかった。

「小鳥遊先生、鴻ノ池先生、鷹央を捕まえてください!」

 真鶴が鋭く指示を出す。僕と鴻ノ池は「はい!」と立ち上がると、鷹央を追って部屋から出る。しかし、診療時間を過ぎてほとんど人がいない外来待合に、鷹央の姿は見当たらなかった。

「しまった。逃げられた……。これは面倒なことになっちゃいました」

 後ろからやってきた真鶴が唇をかんだ。

「いや、面倒なことって。すぐに見つかりますよ。鷹央先生、基本的に病院から出ることありませんから」

 軽い口調で言う僕に横目で視線を送りながら、真鶴は「あの子を甘く見てはいけません」と低い声でつぶやく。

「あの子は幼い頃から父親についてこの病院に入り浸っていました。そのうえ現在は、ここの屋上に住み着いています。鷹央は誰よりもこの病院の構造に詳しいんです。あの子が本気で院内に隠れたら、そう簡単に見つけられるもんじゃありません」

「でも何時間も隠れたりはしないんじゃないですか? 落ち着いたらすぐに出てきますよ」

 鴻ノ池の言葉に、真鶴は深刻な表情でかぶりを振った。

「あの子は根っからの歯科嫌いなんです。小学生のとき、歯科検診が嫌で院内に隠れて、一昼夜見つからなくて、最終的には警察に捜索願いを出すはめになりました」

「それはまた、人騒がせな……」

 頬が引きつってしまう。

「そうなんです、あの子は人騒がせなんです!あの時私がどれだけ心配したのか。なのに次の日の昼には、お腹が空いたって食堂の厨房でつまみ食いしているところを見つかって! 本当に食い意地が張ってるんだから!」

 早口でまくし立てた真鶴は気を落ち着かせるように数回深呼吸したあと、「というわけで……」と表情を引き締めた。

「院内であの子に本気で隠れられたら、そう、簡単に見つけることはできません。こちらも本気であの子を捕獲しにいましょう」

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